私の問題解決の考え方 第3章4最後に、少し追加論文「私の問題解決の考え方」の第3章をまとめる作業で、書くことがどんどん増えてしまい、困っていたとき、私の友達から、いいご意見をいただき、勇気付けられて、とにかく、ここいらで第3章を終わらせる決心ができました。 そのやり取りを以下に紹介し、第3章を終わります。 <論文は、「私の」考え方> (6月30日 ) この論文は「私の考え方」を説明するものです。 問題解決のやり方というのは、誰でもこの方法でやらなければというものではありません。 また、人に言われたようにやって、うまく行くものでもありません。 つまり、「問題解決のやり方」を客観的に説明するのは難しいのです。「確率」についても、似たようなことが言えるのです。問題あるいは分からないことをどう受け止めるかは、人によって大きく変わってしまうのです。 でも、問題を解決するということは、どの考え方でも変わりません。考え方ややり方はどうでも、問題が解決できればいいのです。 私の場合を考えると、いろいろな違った種類の問題の解決をしてきましたが、考え方のもとになる「問題の捉え方」はあまり変わっていないことに、後になって、気づきました。そして、確率・統計を問題解決に利用するにも、この捉え方でよいことが分かりました。さらに、この捉え方が私に一番合っていると考えられるのです。 この捉え方を以下説明します。 一言で言えば、「因果」です。結果があれば、必ず原因がある、と考えることです。 問題解決を結果とすれば、それを可能にするための、いろいろな原因(要因)があるのです。解決するのが私であり、解決したい気持ちが強ければ、「私」が、問題解決を成功させるための重要な要因の一つであることは間違いありません。 偶然はないのです。偶然に頼ってはいけないのです。 どの問題でも、正直なところ、成功するかどうかは分かりません。しかし、失敗するのが決まっているわけではありません(分かりません)。成功する可能性もあるのです(確率はゼロではないのです)。成功すると仮定すれば、その成功に私が関わっていることは確かで、私の頑張りと努力が不可欠だと考えるのです。つまり、私が最善を尽くすことが、成功の確率を1(100%)に近づける、大きな要因だと考えるのです。 このように考えて、本気で必死になれば、問題が解決できることが結構多いのです。 一方、万が一、失敗したときでも、この失敗の体験から学べることは、精神的な面でも、研究能力(知恵の使い方)の面でも、非常に多く、私だけのことを考えれば、失敗した場合の方が、得るところが多いくらいです。 初めから、駄目だと決めてしまったり、失敗して、運が悪かっただの、あの人に相談したのに、ちゃんと指導してくれなかっただのと考えたりするのは、もっての外のことです。 一般的には、自信持つことが大事だと言われています。しかし、私の場合、問題を解決しようとするとき、もっと自信を持ってやれと言われても、それはできません。しかし、上記のように考えて、問題に向かうと、持てない自信を持とうとしたり、悩んだりするより、ずっと気が楽です。 成功への自分の寄与を重く見ることによって、より本気になり、責任感、やる気、集中力も出てくるようです。 もっと大事なことは、自分が出会う、一つ一つの問題の解決が、自分の一生の仕事の一部分をなす、と認識することです。その時々では、自分では分からないかもしれませんが、そうなっているのです。私も、途中まで、それに気づきませんでしたが、会社へ入ってから私が解決できた問題を見ると、皆、なんらかのつながりがあって、一つの大きな論文(話)にできる内容なのです。[不思議ですが、本当のことです。事実です。でも、考えてみると、そうなってもおかしくないと思います。各々の問題は違っても、解決しようとするのは私なのです。私の考えで問題を解決しようとし、ときには失敗し、ときには成功し、学んできたのです。つまり、私そのものなのですから、一つのお話にまとめることも可能になるのでしょう。2014年記] こういうことを、私は、後になって気づいたのですが、この気づきがもっと初期の段階であったら、もっといい仕事ができたかもしれません。 そういう意味で、一つの問題をなるべく大きな目で見るのは大事なことです(目の前のこととしてだけではなく)。 読者からいただいた、ご意見です。 < Re:論文は、「私の」考え方(06/30)> イザッチさん >行動を起こさず、努力もせずにうまい話なんてそうそうに転がっていませんよね~。 何もせずにうまうまといい人生に転んでくれたら、 それはそれでラッキー!!と思うんでしょうけど。 私の人生の中では、まだそういううまい話には出会えないようで。 だとすると、やはり自分が頑張るしかないんだなぁと。 あぁ~、宝くじの一等賞とか当たってみたい~。 買ったことないから、当たる確率0%ですけどね(^○^) 買わなきゃ、当たらない。 ☆でも、買って当たる確率は低いのです。超能力でもあって、この番号が当たりそうだなどと感じられれば別ですが、普通の人は損をするようになっているのです。ですから、私は買いません。 私 >一方、自分が打ち込んでいる仕事などは、自分が頑張れば、それだけ成果を上げられる確率が高くなるのです。 何かことを起こさないと、なんの結果も出ない。 って、ことなんですよね~(^○^)ははは♪ ☆それは確かです。まんずやってみれ!です。 私 < 自信がなくてもいい!!> ( 7月02日) -まんずやってみれ!ー 6月30日の日記「論文は、「私の」考え方」の追加です。 書いたことは、私にとっては本当のことで、自信がなかったのも確かです。それでも、一応研究者として、会社から給料をもらってきたのです。アハハハ。 自信はあった方がいいのでしょうが、自信を持とうとし、ストレスを溜めるより、自信がなくても、自分の全力を仕事に注ぎ込んだ方がいいと考えています。 私は、変な自信を持つより、現実をきちんと捉えて、目標に向かい、真剣に、最善の努力をしていくべきだと考えています。新しい事実が分かったら、その証拠をもとに、自分で考えて、判断、行動することです。(一方、「俺は科学者だ」などと威張っていると、子供でも分かるようなことを見落としてしまうこともあるのです。) 私が強い意志と集中力を持ってやらなくては誰がやるのか、という気持ち、 それから、緊張感、責任感と前向きな努力と根性です。 それに対して、読者から、 <Re:自信がなくてもいい!!(07/02)> イザッチさん >現実をきちんと捉えるって、大切ですよね。 今自分にできることは、なんなのかって。 それでもやり出したら、自分が思っていたよりも 結構頑張れたものが出来てることが多いと思います。 ☆「やり出したら」というところが大事なのかなと思います。まんずやってみれ!です。やり出さないで終わってしまうこともありますね。 私 >自分の持ってる力、プラスα努力などなど、 大きいなぁ~って思いますね。 ☆人間って、本当にやろうと思えば、信じられないくらい、いろいろなことができると思います。 私 <そろそろまとめるか> (7月04日) この章をです。 ここまでで、言いたいことは言い尽くしたと思います。ただ、書いているうちに、また新しいことを思いつく可能性はあります。そうかといって、これまで書いてきたことを書き直すつもりはありません。 この論文は、言わば、研究をしながら書いていますので、どんどん変わっていってもおかしくありません。 また、これは私の論文であり、自分の考え方を述べるものです。ですから、他の人の考え方と違っても仕方ありません。 ただ、必要なのは、 「自分で考えて、判断、行動する。」 ということで、これは、誰にでも当てはまることです。 読者の皆様には、私が言うようにやろうとするのではなく、自分で考えていただきたいです。 「この人は、こんなことを書いているけれど、私だったら、こうする。」というようにです。 さらに、読者から、 <Re:そろそろまとめるか(07/04) > イザッチさん >「自分で考えて、判断、行動する。」って、 なかなか出来ないようですね。 助けちゃうのも良くない原因の一つなのかもしれませんが。 よく仕事で、 「これ、エラーが出ちゃうんですけど」みたいなことを言われると、 イラっときちゃうんですよね。 言葉足らずというか、 「エラーが出るんですけれど、どうしたらいいんですか」、 「エラーが出るんで、こうしたんですが、ダメみたいで、何か方法がありますか」 ぐらい訊いてくれればまだしも、 ハナから人に助けてもらおうとする態度。 「これ、エラーが出ちゃうんですけど」って言われたら、 「あぁ、そうなんだ。ふう~ん」で切り捨ててしまいたい(心狭すぎですか)。 ☆この反応は最高!手取り足取り教えてあげるのはよくありません。研究の場合など、担当者にもっと「細かい」指導をとか言われることがありますが、しません(と言うか、自分でやってみないと分からない場合が多いです)。 私 イザッチさん >そこで結局は、私がやってしまう。 そういうのがダメだと思うんですけど。なかなか。 そして、自己嫌悪に陥ってしまう私です。 ☆分かります、分かります。他の人を指導するのは本当に難しいですね。特に、やる気のない大人は手に負えませんね。 私 < 問題解決も結局は粘り> (7月05日) -倦まず怠らず努力するー 絶対に諦めるな! 転禍為福 苦労するからこそ良い考えが出てくる。 勝負は最後まで分からない。 逆転もある。勝ったと思ってはいけない(最後まで)。 やるっきゃない。 自分が頑張るしかない。 人に頼るな。 人のせいにしない。 背水の陣で行こう。 根性だ。 食いついたら放さない。 執念だ。 こんなことを書きながら、今日は貴重な一日を無駄にしてしまったようです。論文にもっと力を入れなければ! さらに、読者から、 <Re:問題解決も結局は粘り(07/05) > イザッチさん >本当にその通りですよね。 苦境に立たされた時、誰かが何とかしてくれるなんて大間違い。 自分で頑張らなきゃ(自分自身に言ってます)。 良くならない状況を周りの環境のせいにしない。 冷静に考えれば、 良くなるようにする自分の努力が足りない、自分がその努力を怠っている。 そんなことに気付きます。 今を嘆くより、やるべきことをやる。 勇気を出して前に進む。 今の自分に満足しない。 今のままが楽だからと妥協しない。 そんな気持ちを持ち続けたい、今日この頃。 ちょっと前進しようとしているイザです。 こんな素敵な日記を書かれながら、 貴重な1日を無駄とは。 今の私には、十分心に響きましたよ(^-^)v ☆ありがとうございます。文にうまくまとめられなくて、言葉を並べただけなのです。 私 ここからまた私、 <問題解決の確率> (7月14日) 私が自分の問題を解決したいとき、問題は偶然解決されるのではありません。たまたま、誰かが助けてくれるのでもありません、たまたま、運がついてくるのでもありません。 何事も、原因があって、結果があるのです。私はこう考えるようにしています。 私達が偶然だと思うようなことでも、実際は、偶然ではなく、私達には、制御できない、あるいは、分からないだけなのです。 新しい問題にぶつかったとき、最初、解決の確率は低いかもしれません。しかし、私達が問題を解決したいという強い気持ちや努力によって、制御できなかったことができるようになり、分からなかったことも分かるようになってくるのです。私達自身が、自分の意志で、この確率を大きくすることができるのです。 それに対するご意見、 <Re:問題解決の確率(07/14) > イザッチさん >最近の私が思うこと。 やらずに後悔するより、やった方がいい。 やらずにずっとあの時こうしていれば、とか、そういう後悔はしたくないな、と。 やった結果が自分の思うようなものでなかったとしても それでもやらずにあれやこれや考えるよりはいいなって、思うんですよね。 いろいろと頑張りたいと思いますし、 根性無しですが、頑張りますv(^-^)v ☆いや、根性を持っていらっしゃいます。 私の付き合った、かなりの研究者に見習ってもらいたいです。結局は、「まんずやってみれ!」ですね。 私 さらに私、 <今日はうれしい!> (7月17日) ひとっきり音信不通だった友達のイザさんから書き込みを沢山いただきました!(9つも!)。 どうされたのか、少し心配していたのです。 パソコンが壊れていたのと多忙が原因だったとのこと、ご無事のようでよかったです。 以下がその音信、 < Re:今日はうれしい!(07/17) > イザッチさん >いつもご心配をお掛けして、本当に申し訳ございません(^_^;) 無事に生きておりました。ははは。 最近自分は、本当に意気地がないなぁ~と思うことが多々あり。 でも、強い意志で、それを乗り越えていきたいと、 今、思ってます。 今を嘆くより、今を良くしたい。 そんな気持ちで勇気を振り絞っているところです(^^ゞ 頑張りますv(^O^)v ☆イザさんなら、全く心配ありません。私の知っている、多くの男どもにも、少しは、イザさんの真似をしてもらいたいものです。 私 イザッチさんの答 >そんなことないと思います。多分・・・。 きっと皆さん素晴らしい方たちだと思います。 こんな私よりは、絶対に。 私の方も仕事で、研究者の方たちと お話したりすることがあるんですが、 研究者の方たちって、本当にすごいですよね。 いつも強い信念を感じます。 人それぞれ、いろんな悩みなど抱えていたり、 きっとみんなそれぞれが大変なんだろうなってふと思ったりするこの頃。 頑張らねば~v(^○^)v( ☆お互いに。 私 私、 < くじ運は悪くても運はいい?> (07月20日 -でも、縁を利用して最善を尽くすー くじ運のことから、その他の運についても考えてみました。 私は運がいいと思います。 私は、かなり行き当たりばったりで、あまりはっきりした目標など持ったこともなく、金儲けしようとも、人を蹴落としてまで偉くなりたいと思ったこともありません。 それなのに、かなり幸せな人生を送ってきています。さらに、不思議なことに、意図しないのに、これまで研究してきたことが、一生かけてやる仕事の一部になっているようなのです。 それに対して、 <Re:くじ運は悪くても運はいい?(07/20) > イザッチさん >それは、今までに何事も一生懸命されてきたからではないでしょうか(^-^) 運も味方だったかもしれませんが、 決してそれだけではなかったと思います。 ☆いやいや、私は、どっちかと言うと、怠け者で、ぼうっとしているのが結構好きなのです。そんなに思っていただくのはありがたいですが。 私 私、 <私が何かをできないと決めつけてしまえばできない > (7月28日) 「あなたができると思うのも正しい、あなたができないと思うのも正しい。」 これは、ヘンリー・フォード(自動車の会社を作った人)の言葉だそうです。 もっとも、できると思ってできないときもありますが、最初からできないと決めてしまえば、それはできないのです。 多くのことは、やる気を出し、本気で立ち向かえば、できてしまうのです。 私の場合、多くの場合、確実にできるとは思いません。しかし、できないとも思いません。どうなるかは分からないのです。だから、できないとは考えないのです。 完全な解決にはならないかもしれないけれど、諦めないで、できる限りを尽くそうとは考えます。そして、解決に成功するとすれば、そのためには、私が必死になって頑張る必要があると考えるのです。 この世の中、分からないことだらけで、私達は毎日いろいろな問題に立ち向かわなければならないのです。それが人生とも言えます。問題があるから、面白いのかもしれません。何も問題がない状態になったら、生き生きと暮らせないのではないでしょうか。 但し、宝くじで、一億円や二億円を当てたいというような問題では、初めから、うまく行かないと思った方がいいです(普通は)。 この文は、昨日書き始めたのですが、途中で、イザッチさんから、書き込みをいただいてしまいました。それがとても上手に表現された文で、私の言いたいことを的確に説明して下さっています。 イザさん、 <Re:私が何かをできないと決めてしまえばできない(07/28)> イザッチさん (>最初からできないと決めてしまえば、それはできないのです。イワセイ) イザッチさん >本当にそうですよね。 まずはやってみないと、どうしてそれが出来ないのかも分からないですもんね。 「あ~、きっと出来ないな。じゃいいや」で、簡単に終われる状況ならいいですけど、 仕事だとそういうのは許されないことが多いですよね。 どうして出来ない? 何が足りない? こうしてみたらどうだろう? それでダメなら、今度はこういう風にしてみればどうだろう? ハナから出来ないと諦めてしまって出来ないのと、 いろいろ考えたり、試してみたりしてまだ出来ないのとでは、 質が違うんですよね。 いくら努力しても出来ないことって モチロンあると思うんですけど、 やらなければイケないことなら、 ハナから自分には出来ないと投げ出してしまってはダメですよね。 何よりそんな状況で、放棄してしまうことが、 私は気持ちが悪い。 どうしてだろう?何で?何で?って、 出来るまでずっと気になるし(^_^;) ☆お見事!何も付け足すところはございません! ありがとうございました。 私 さらに続ける私、 < 子供の学力電子カルテ???> (07月19日) ある小中一貫校で、子供の数学学習のために取り入れているとのことです。一人一人の子供のどこが苦手だとか、間違え方だのをパソコンに記憶させておくのだそうです。これにより、個々の子供の進行度に合わせた指導を目指しているのだそうです。 これはとても便利なもののように見えるのですが・・・ 便利になると、データの「記録」と「整理」にはいいのですが、人間が、調査結果について、パソコンを使う前と比べると、考えなくなってしまうというか、考える度合いが減ってしまうことがかなりあるのです。結果を簡単にパソコンに入れられると、それで安心してしまうのかもしれません。 パソコンを使わないで、データを自分の手で書き込んだり、自分が表やグラフに結果をまとめるのは結構大変なのです。しかし、このような行動が、私達が考えるのを助けてくれてもいるのです。というか、こういう苦労をすると、私達がより沢山自分の頭を使えるのです。[今の学生さんはグラフ用紙など知らないかもしれません。2014年記] 科学の分野の実験でも全く同じです。実験結果をパソコンに自動的に取り込めるようにし、結果の整理やまとめなどもある程度自動的にできるようにすると、データは沢山集めても、研究者が結果の解釈を十分行なっていない、というようなことが起きるのです。 苦労して実験をしたり、データをまとめたりするのが、私達に頭を使えるようにしてくれるのです。あまり便利にしない方がいいのです。 <Re:子供の学力電子カルテ???(07/19)> イザッチさん >確かに、結果が自動集計されたものって、 「なるほど」と思うけれど、印象に残っていないような・・・ 「あれは、こんな結果だったっけ?」みたいな。 ☆世の中、あまり便利にしすぎない方がいいのです。 苦労しているときの方が頭の働きがいいのです。と言うか、働かせざるを得ないのです。 私 2006記 Annaさんからです。 >「イワセイさんは、これまでのいろいろな問題解決で、解決したくないと思う問題を手がけねばならないこともあったかと思います。こういうときは、どのような考え方で、解決に着手され、進めてこられたのですか?」 私の答えです。 ☆ご指摘の通り、初めからやりたいと思った問題は少ない方でした。 まず、会社の仕事では、やれと言われたことの多くは自分が望むものではありませんでした。しかし、私は会社からお金をもらっていたのです。ですから、嫌でもなんでも、まず始めました。 母の介護の問題では、やるのは私しかいなかった(息子一人)からです。母の希望するように、ただ助けるだけでは母は心身的に弱っていくのは分かっていたので、私が自分の問題として対処することにしました。 原発の問題では、この事故により、国民の安全が著しく脅かされたのに強い怒りを感じたのが、自分で行動に移ったきっかけでした。これもできれば手がけたくない問題です。 わが家の建築の問題でも、私は、できれば、あまり首を突っ込みたくありませんでした。しかし、私が何もしなかったら、希望の家ができない可能性を感じて、やむを得ず口出しを始めてしまいました。 このように、いずれの問題でも、始めるときには嫌だと思っても、とにかく始めないとまずいと観念し、検討を続けているうちに、少しずつその意義を感じたり、面白いところを見つけたりしてくるのです。 何もしないでやるべきことを考えていると、始めるのが嫌になってくるのです。始めても解決できないかもしれないという気持が強くなります。つまらない問題だと思うこともありました。 しかし、こういうときは何でもいいから始めることです。考えるのは、やりながらでいいのです。とにかく、始めましょう。遊び気分でいいのです。そのときの「ノリ」でいいのです。思いついたことは何でもやってみるのです。 とにかく続けてみましょう。これまでやってきた他の問題との共通点は?ちょっと不思議なことがあったとか。もうちょっと調べてみたいとか。あれやこれやと遊び気分でやっていると、問題に対して、なんとなく親しみを感じるというか、少し知り合いになったというような気もしてきます。 疑問に思うことや分からないことも出てきて、図書館へ行ったり、専門家に相談したり、周りの人と話し合ったりするのです。そして、こういうことをしながら、自分で考えるのです。その結果、問題の内容が少しずつ分かってきます。そして、進む方向もいくらか分かってきているかもしれません。 そのうちに、初めは会社でしか考えようとしなかったことを通勤中とか、家でも考えていたりするのです。つまり、問題が「自分の問題」になってくるのです。こうなると、問題解決に対する意欲ががらっと変わってきます。本気になったのです。 ここまでくれば、解決成功の確率がかなり高くなっていると言えるでしょう。 でも、実際には、とても難しい問題や嫌い(だと思った)な問題の解決に着手するのは大変なことです。理屈で少しでも早く始めるべきだと思っても、行動に移せないのです。私もそうでしたが、お金をもらって研究するようになってからは、とにかく、なにかやることにしました。できる当てはなくても。このような経験で、かなりの確率で、できないと思っていたことができたり、嫌だと思ったことが面白くなったりしたのです。 そして、まずやってみるクセがついてきたのです。まんずやってみれ!です。一所懸命なにかをやっていれば、仕事をさぼっているとは言われません。倦まず怠らずやってみるのです。 それどころか、やるべきことがきちんと分かってくれば、やったことは何かの役に立ってくるのです。ここのところで私の考える力を最大限に発揮させなければならないのです。 大事なところを質問していただき、ありがとうございました。 イワセイ(2014) <まとめ> 問題解決への利用を考えて、確率・統計の勉強をしてきました。 学んだことは、 1.確率とは、ある事象(事柄)に対する私の信念(認識)の度合いと考える。つまり、確率には、主観的な要素がかなり含まれているということです。 2.ベイズの定理というのがあり、未来の予測あるいは過去の推定に応用できる。新しい証拠を考慮に入れて、新しい確率の値も計算できる。これは、人間が行なってきた試行錯誤に相当する。 つまり、私の問題解決の基本的な考え方は、確率論の考え方に通じるところが多いです。常識的に考えるということです。 参考文献 1) E. T. Jaynes: "Probability Theory The Logic of Science," Cambridge University Press, (2003). 2)本居宣長:「宇比山踏(ういやまふみ)」、伊勢松坂 柏屋平助、(1800). 3)江原啓之:「スピリチュアル ブック」、王様文庫、(2001) 4)アミール・D・アクゼル:偶然の確率、アーティストハウス、(2005)。 2006記 |